昭和50年10月12日 特別奉修委員

                               佐田恵介

はー、教祖様の、お取次の、ご様子を、大変きれいな文章で、?ー、書いておられる。???、ある日の教話、信心の出発点と?んしょうについてということを、つかもとという先生、宮崎の延岡の先生。少しばかり??????。(マイクを動かされる)金光大神の、御信心は、限りなく深く、??、はてしなく、広い事を、感じます。金光大神の御信心を、巨大なる、樹木にたとえますならば、わたくしはやっ?、やっとの事で、その、巨木の、いちよう、一つの葉、一葉を、見ているにすぎない、信心です。それも、正確に見る事が、あー、できているのか、心もとないことで、すが、わたくしの心に、浮かんで、まいります、ままに、金光大神の、御理解の、情景を、述べさせて、頂く、事から、お話をすすめてまいりたいと思います。広前では、金光大神のむくえが、秋の朝風を通して、人々の心にさわやかに、響いて、いました。もう御理解が、はじまって、かなりの時間が、すぎたようです。人々は、金光大神の御話が、終わりに近づいた、ことを、その、にっこりされた、口調に感じ取り、じっと、次のお言葉を待つのでした。一息、つかれ、った、金光大神は、暖かいまなざしで、一人一人の顔を御覧に、なられたあと、低い力のこもった、みこえで、日々、お参りなさる皆さん、今日より、は、変人に、おなりなされ、と、言われました。人々の顔には、一瞬、戸惑いの、影が、走りました。金光大神は、軽く、うなずかれますと、変人になりませんと、まことの信心がでけませんのじゃ。それだけいわれると、前列の、若者のほうをじっと、御覧になって、おられます。そのまま、しばし、静かな、時が、流れました。ゆうざき山の、松を、わたる、風の、音が、聞こえるばかりです。あかものは、軽く、一礼をすると、金光大神様、変人とは、どういう事でございましょうか、と、いうと、周囲の人の顔を、みて、又、軽く、頭を下げました。金光大神はにっこりなさると、はりのある、すんだ、みこえで、あなたの、中に、頂いている、生神金光大神に対して、素直に、正直に、そして率直に、なる事じゃ。とかく人間は、自分の、手腕、才能とか、きしき技能とか、財に、頼り、きるから、転び、やすい。神を杖につけば楽じゃ。これまで、ついていた、杖と、杖が、 かわるから、人から、変人と、いわれる事もあろうし、また時には、自分で自分をそう思う事もあろう。だが、神様が、見てくだされてありますのじゃ。ここまで一気に、いわれた金光大神は、白い額の、汗を、懐紙でそっと、おさえられ、ややあって、心が、神にむこうのを、信心というのじゃ、と、結ばれました。一言一言に、力が込められていました。若者は、金光大神の、御言葉を、何回となく心の中で、繰り返して、見るのでした。何事をするにも、生半可な、知恵を、頼りとし、理屈ばかりが、先走って、いく、これまでの自分の生き方と、人目ばかりを気にしていた、今までの、信心のありかたが、若者には、ひどく、おろか、な、ものであった、事に、思えてくるのでした。やがて、若者の表情には、晴れ晴れとした、輝きが、見えてきました。人々には、?広々とした、自由の天地が、まの、あたりに、開けてくる、思いで、金光大神を、伏し、拝むのでしたと、??あー、もちろん、作文してあるわけで、???、教祖様がこうおっしゃったという事じゃないけれどもね。これはあのー、?、読ませていただきながら、ほんとにあのー、金光大神の、んー、これよりももっとー、懇切を極めただろうと思いますね一人一人に対するお取次ぎというものは。しかも、一人一人に対するその、懇切な、あの御理解というものが、た?えばどのようにあっておってもです、それをやはりあのー、本気で頂こうという気にならなければ、信心は進みませんですね。?、?、これはあたくしは思うのですけど?、合楽の場合なんか、もう、そくそく(笑い)、教祖様じゃないけれどもね、合楽くらい、懇切丁寧に、あたくしあのー、御教えを、?、??、ここにも書いてありました。広く深くね、説くところは、まずなかろう、かと、思うくらいです。ですから、そういう御教えにふれておられるー、だけでなくて、それをほんとに、あのー自分の、血に肉にしていく、いわる姿勢をね、つくらなければ、だめ。今日、(息を吸われる)えー、秋山さんのさっきあのー、御届けを聞かせて頂い、とりましたが、ご親戚の、ま、かんせってきにここで御届けしておられますが、元、大変熱心に、金光様の先生にでも、なられんならんというほどしに、熱心に信心してー、おられた方が、そのー、?いごさんですか、あれは、そのー、ね、おい、甥になるかとが、?ー、やっぱ熱心に、信心、しよったんですけれども、あんまり次々と不幸な事難儀な事が続くもんだから、何かこう、宗教ではないけれどもやっぱ、御霊様関係のことをいうという宗教に、凝り固まって、そのー、?、?、神様や御霊様お祭りしてあんのをみんな片付けっしもうて、そしてそれを、あのー、仏様を、真ん中に、?祭ったり、それからその、?ー、おばさんにあたる、?、その方にも、それを進めげいったところが、おばさんも、色々聞きよってから、こらもー、??、??がいうとがほんなこっちゃなかじゃろかと、うちも、ごっぶっだんが、?ものすみにあるけんでいかんとじゃなかじゃろかと、いったような事をいわれたという話を聞きました。もう何十年、あたくしもしっとりますけど、何十年の、金光様の御信心を頂いておっても、あの、ほんーとにね、あの御教えを、う、受けて、育った信心でなからなければじつに弱いという事です。ただ、おかげがあるからまいっておる、といったような、あのー、信心ではね、もーほんとに弱いです。なんかんの、時に、やはり、難儀な事でも続くと、?の、そういう、あたしゃな、どう?し、??かしらんけども、それに、ふらふらっとこう、迷うような心すらが起こってくるよなね、事では、いけません。あたくしゃ、今日のう、聞いていただいた、?んとに懇切、丁寧を、極めての、一人一人のお取次の金光大神の、?、その当事のご様子を、今の作文の中から、?っぱ感じます。けれども、おそらく、あたくしゃ、合楽の場合です。?こ?が、あの、むつのきに、とつの語り草にもなる、かと、思うです。もー、ほんっとにも日々しかも何十年間、あのようにし、たとえば一つの御理解を、ああいう、角度から、も、あらゆる角度から、解き明かして、おられた、ということはね、んん、だか?それを、聞いておくというだけじゃなくて、やはりそれが、血に肉になっていきょらんとです。ねぇ、あのね、?はり、ほんとなことで?ない。結局、ほんきでひとつ姿勢をつくらなければいけないと、いうことですよ。?。そして、たとえて、もうしますなら?ね、んー。 たとえば、昨日の御理解の中にも、も、あのー、申しましたよに、昨日でした一昨日でしたかね、ほんとに金光教の信心の土台、というものがね、わかっとりませんと、そのー、な、先ほど、?、くまがえさの、所に見える、金子さんという方が、大変熱心に話を聞きなさるそうですが、?の人は、あのー、名前を、?ー、姓名学を、勉強しとられるそうで。だか?、これだけは絶対なものとして、おさえる、らしいんで、いくら話を聞かれてもですね。ですから、?どんーなによいおはなもようをいただいておってもその、心の状態がね、よくなからなければおかげは頂かれんということを、ま、くまがえさん話されたという事でございますけれども、もーたとえば、あのー、あたくし?の親ぜんせいのお名前というのは、もうそれこそ、もう、これ以上の、名前は、姓名学の上からいうたらなかろうというほどしの、すばらしい、名前だったから、今の合楽が生まれとるとい?じゃない。こりゃもう、ちょーっと、本気で、いうなら子供のとっから、まことの信心を、?に付けたいという、そのー、ね(め)がいがね、そういう姿勢で、こんにちまでこらえた所に、こんにちの合楽があるんだと、まあ話しました。という事、先ほどいっておられましたがね。やはりあのー、その、気に、ほんとに、なって、真の信心を身に付けていく姿勢をまず、つくらなければいけませんですね。姿勢が、?たしてでけておるかどうか、ということですよ。どうぞ。